一度きりの大泉の話 結局、呼び名がすべてを表している

遅ればせながら、萩尾望都先生の『一度きりの大泉の話』を読んだ。

それについて、色々な人の書いたものも読み、竹宮惠子先生の『少年の名はジルベール』も読んだ。

藪の中のような話。人によって視点は異なり真実も違ってくる。

 

私は、両先生の作品を読んでいるが、たぶん萩尾先生の作品をたくさん読んでいて、

印象に強く残っているのも萩尾作品。『トーマの心臓』とか本当にすごい。

 

ポイントは萩尾先生が「嫉妬」という感情を理解していないところ。

そして、天才なのに自己評価が低い。

無邪気で基本的にマイペースなのんびり屋さんという風に思った。

 

もう一人、増山法恵さんというキーパーソンが二人の間にはいるのだが、

この人の存在が不可解。

漫画も描かない音大浪人なのに、人の作品に口を出しすぎ。と思う。

ただ、田舎から出てきた少女にとっては、教養があって都会的で舌鋒鋭く、

無視できない存在だったのだろうとは推察される。

 

三人の関係性は、結局、萩尾先生が一段上にいて、先生自体はそのことに気づいておらず、

竹宮先生は嫉妬し、増山さんは自分の意見を聞かなくなった萩尾先生と距離を取って竹宮先生に接近、という構図に見えた。

 

そのことは、「ケーコタン」「ノンタン」「モー様」という三人の愛称に端的に表れていると思う。

一人だけ「様」が付いているのだもの。

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